| 「生きる目的はないです!」と笑顔で言い放ちましょう。 これが結論なのですが、笑顔がゆがまないように補足いたします。
生きる目的はない。・・・だがしかし!・・・。無目的という過激なむなしさに耐えられない。耐える訓練もしていない。
生きる目的を決めずにいられないのは、望まない状態に耐えられないからです。それが望む状態を実現する為に必要とわかれば、その望まない状態は「望む状態」なんだ!と、ころっと変わるでしょう。
そこで輝かしい目的を決めます。例えば、恋人や家族を食わすため働く。その目的が新鮮なうちはいい。目的が少しづつ達成に進んでいるうちはいい。休日が取れたり、残業しなくていい日があるうちはいい。心や体が元気なうちはいい。やがて「これでいいのだろうか」ってふと思う時がきます。 働き続けるためには別の目的が必要になります。酒、何らかの快楽・・・。
生き物は社会や生態系の要求によって、おのおのに役割が与えられます。
配管工は水道管を配管するため生まれてきた、セールスマンは便利なものを人々に広めるため、障害者は周りの人に「生きる」とはどういうことか伝えるため、猫はネズミが増えすぎないようにするため、風は有害ガスを拡散させ、植物の種を遠くに運ぶため、人類はあらゆるものを食い、そのクソや屍が植物の栄養になるため生まれてきた。・・・と決めてしまうこともできます。
目的はあってもなくてもいい。あっても、「何でもあり」です。
以下ちょっと偉そうなことを言います。というか別に偉くはないが、単なるヒントになる場合があるので。「そのままの自分を認めること。よりよく生きなくてもいいと知ること。そして、生きる目的など最初からないこと。これでいいのかって、いいもクソもそういうものだということ。
そんな風にどうやれば思えるようになるか。方法はないです。きっかけがたまたまやってくるだけなので。きっかけは人それぞれです。
生きる目的無しの空しさに耐える訓練というものがあるだろうか?散歩すること。動物、植物を見ること。失業。貧困。・・・やはりこれも人それぞれです。」
|